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月刊『薔薇族』編集長 |
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33年の長い間のご支援ありがとう。 なんという『薔薇族』の幕切れでしょうか? はからずも最終号になってしまった11月号(No.382)には、ひとこともやめるなんていうことを書いていないのに・・・。 11月号が製本されて配本されるという9月17日(金)の話。12月号を印刷することはできないと、印刷所から引導を渡されてしまいました。前月分までの未払いに加えて、12月号を出せばそれだけ支払いが増えるからです。 『噂の真相』が廃刊するときは、カウントダウンしてやめる号を予告しておいて最終号を出しました。『薔薇族』の場合は、いさぎよいとは言えますが、全読者に廃刊を告げることもできず、桜の花どころではなく、あっという間に消え去ることになってしまいました。 ぼくはすぐさま朝日新聞の社会部の記者に廃刊するということを手紙にしたためました。記者とは昨年の暮れに知り合って、新宿2丁目を紹介してくれたときに、『薔薇族』のことを書いてくれた人でした。下町を愛して路地から路地を歩き回り、下町に住む人たちの人情を描いて、本まで出した風変わりな記者でした。 早速、電話がかかってきて取材をしてくれて、9月22日の夕刊に「雑誌『薔薇族』が廃刊」と。 その日の夜は、通信社、各新聞社、スポーツ紙と取材の電話が次々とかかり、深夜のTBSラジオに電話で出演という騒ぎになってしまいました。フランスの新聞社からも電話がかかってきて、嬉しいような悲しいような、ただただ朝日の記事の大きな反響にびっくりしてしまいました。 次の日から読者諸君から、メールが次々と入ってきても手紙は数通。これを見ても素早く情報を伝えるインターネットの出現に、雑誌は負けてしまったと実感するばかりでした。 創刊号を出したのは、1971年(昭和46年)の7月に出した9月号でした。そのときぼくは38歳、現在72歳。33年もの長い年月が過ぎ去っていました。 『薔薇族』が残した大きな功績のひとつは、取次店(本の問屋)のルートに乗せたことです。トーハン、日販などを通して全国の書店に配本して、店頭に並ぶというルートを確立したということです。 ぼくは書籍専門で、雑誌作りは経験がありませんでしたが、創刊当時から加わってくれた藤田竜さんの存在がなければ今日の『薔薇族』はなかったでしょう。 藤田竜君は中原淳一さんのお弟子さんの内藤ルネさんと一緒に住んでいて、この人の才能は企画から文章も書くし、レイアウトもするし、写真も撮るしと万能の人で雑誌作りのベテランでした。 彼はスポーツマンタイプの男が好みでしたから、ゲイの人の好みの一番多い人であったこともラッキーでした。 藤田くんはいい男で遊び人。ぼくはまじめで誠実さが売り物。このまったく反するコンビで作る雑誌だからよかったのでしょう。 日本で最初の男性ヌード集、少年の写真集、同性愛ビデオの制作、映画の製作、大判の別冊増刊号の刊行と、次々と新しいことを計画し実行しました。 読者とのバス旅行、高校生をたくさん集めての座談会。新宿の厚生年金会館の隣のビルに談話室「祭」を開き、昼間から営業して多くの読者を集めました。 最大の功績は、エイズ予防の防波堤になったことでした。帝京大学の附属病院の松田重三教授の指導で、エイズ予防キャンペーンを繰り返し特集して、エイズの恐ろしさを読者に知らせ、松田先生に頼んでエイズ検査の窓口を開設したのです。 日本中に同性愛者は300万人はいると推測しますが、その9割は息をひそめて自分の性癖をひた隠しにして暮らしている人たちです。 親、兄弟はもちろん、長年つれそった奥さんが知らずにいることを、ぼくに告白して話をしてくれるのですから、誰も見ることのできないドラマを33年間見続けてきたといえるでしょう。 「隠れていないで表に出よう! 明るい太陽の下で堂々と生きていこう! 同性愛は異常でも変態でもない」と、叫び続けてきました。それが道半ばで挫折してしまった、くやしさでいっぱいです。 ぼくの編集長としての実力がなかったことが大きな原因で、もちろん長引く不況の深刻さもあるでしょう。長い年月、同じ仕事を続けているとマンネリになり、内容を変えようにも変えられないこともありました。 38歳で創刊して、現在72歳。ぼくも歳をとりましたが、スタッフも同じように歳をとりました。20代の若い血を入れられなかったので、若者が『薔薇族』から離れていったことも原因のひとつです。それと『薔薇族』が買い易かった中小の書店が次々と廃業してしまったことも。 一番の原因は、ここ4、5年のインターネットや携帯電話の急速な普及でしょう。活字ばなれしてしまい、世の中がまったく変わってしまって、ぼくのように古い人間はついていけませんでした。 若者の意識も変わり、自分が同性愛者であることを気づいても、いい意味で深く考え、悩むことをしなくなった。そこにも雑誌の存在価値がなくなってしまったということがあります。 ここ4、5年急速に部数が減り続け、採算がとれなくなってしまい、ついに続けられなくなったのです。 表4(裏表紙)のページに一般の企業のカラー広告を載せたいということが、長い間の悲願でしたが、最終号にオカモト株式会社が、〈ニューゴクアツ〉コンドームの広告を出してくれて、やっと雑誌らしくなったと喜んでいたのに。最初で最後とは皮肉なことでした。ゲイ雑誌として初めてのことだったのに・・・。 『薔薇族』を33年も出し続けてこられたぼくは幸せ者でした。長い間ぼくを支えてくれたスタッフ諸君、クライアントのみなさま、すべての人たちに感謝しています。本当に長い間ありがとうございました。 ★性病の医師を紹介しています。遠慮なくお電話をどうぞ。03-3421-5462
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